ふくトピ
2022年は柳田國男に(ちょこっと)縁のある年!
2022年4月14日(木)
こんにちは! スタッフです。
ところでみなさん、福崎町といえば何を思い浮かべますか?
福崎町といえば…妖怪👻!
というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
でも「なぜ福崎に妖怪がいるの?」という理由までご存知の方は、まだまだ少ないのかもしれません。
このまちに妖怪たちがいる理由は、他でもない柳田國男が生まれ育った地であるからなのです。
柳田國男は(1875 – 1962)は、日本民俗学を創始・確立に尽力した人物です。
その功績から“日本民俗学の父”とも言われています。
國男先生は、全国各地に残された民話や伝承、妖怪や物の怪にまつわる言い伝えまでを文学に昇華させ、
有名な『遠野物語』『妖怪談義』など数多くの著作を残しました。
2022年は柳田國男先生の没後60年にあたるので、ちょこっとだけ縁のある年なのです。
日本民俗学とは、生活の中に残る古くからの習慣や伝説、民話、生活用具など
民間で伝えられてきたものをもとに、生活文化の発展の歴史を探っていく学問です。
簡単に言えば「昔の暮らしを研究し、現在につながる歴史を学ぶ」もの。
民俗学がなければ、『日本昔ばなし』『ゲゲゲの鬼太郎』『妖怪ウォッチ』は生まれていなかったかもしれません。
その研究対象となっている伝説や言い伝えの中に、<妖怪>たちがいるというわけです。
福崎町にいる妖怪たちの中でも特に國男先生と関わりが深いのは、やっぱりガタロウとガジロウの河童兄弟。
なぜなら、彼らは國男先生の著書『故郷七十年』に出てくる駒ヶ岩の河童・ガタロがモチーフになっているからです。
河童の伝説は、川遊びをする子どもたちへ自然の厳しさ、恐ろしさを伝えるための物語であるとも考えられています。
福崎町で生まれ育った國男先生も同じように、子どものころに河童の伝説を聞きました。
つまり、駒ヶ岩の河童(の伝説)は國男先生が初めて出会った妖怪だった、ということ。
そう聞くと、福崎町の河童たちにも会ってみたくなりませんか?
現在、河童のガタロウは辻川山公園の池のほとりにいます。
ガジロウは辻川山公園の池と福崎駅前のパイプを行ったり来たりして、忙しい日々を過ごしているようです。
その他にも天狗や鬼、猫またをはじめとした個性豊かな妖怪たちが
福崎町内の至るところに「妖怪ベンチ」として訪れる人々を待ち構えています。
これからゴールデンウィークや夏休みを控え、ちょっとお出かけしたいな~とお考えのみなさん。
福崎町で妖怪たちに出会う旅をしてみませんか?
駅前・辻川観光交流センターでは、妖怪ベンチ巡りに便利なレンタサイクルをご用意しています。
ちょっと休憩にぴったりなカフェドリンクやおやつ、お土産品などの販売も行っていますので、
福崎町へお越しの際はぜひぜひ気軽にお立ち寄りくださいね。